昨日は牧伸二さんのウクレレ漫談の心境
「あ~あんあ、やんなっちゃった! あ~あんあ、驚いた!」
ハワイといえばウクレレ、ウクレレといえば牧伸二! ちょっと無理があるのは承知のうえで、昨日は牧伸二さんのウクレレ漫談の心境だったのです。
久々の日曜日の朝。いつもは6時台には起床するのですが、このときばかりは惰眠をむさぼり夢うつつ。午前7時7分。自宅はコンドミニアムの16階で、「ミシ、ミシ」って軋みながら、大きな揺れを感じました。発生からすでに10年余になるというのに、1995年の阪神・淡路大震災が脳裏をよぎり、飛び起きました。当時はマスメディアの最前線で記者として取材。自分自身もあの地震を大阪で体験していました。
テレビをつけると、少し映ったかと思うと停電。ラナイ(ベランダ)に出てみると、まだユラユラと小舟のように揺れていました。玄関から外に出ると、旧日本軍のゼロ戦が真珠湾攻撃するのを目撃したというお隣の日系のおばあちゃんが「80年もハワイで生きているけど、こんな地震は初めて」とコワゴワの様子。幸い、日曜日の朝ということもあって道路の交通量は少なく、ハワイは一般的にはガスが普及せず、電気コンロを使うことが多いので、神戸のときのような二次災害はないような雰囲気で胸をなでおろしました。
当時のこと。神戸の長田区を取材した写真部のカメラマンが「お父ちゃん、先に逃げて! 私はいいから」という倒壊した家屋の下から聞こえる奥さんらしいうめき声を聞きながら、呆然と立ち尽くすご主人のそばで、何もしてあげられなかった・・・」と彼が涙をこぼしたことまで記憶の底から呼び覚まされたのでした。周りは木造家屋が多く、火の手も早くて、その後1時間もすると、あたりは火に包まれた、と彼が語った話を思い出しながら、コンドの廊下から、しばらくボーっと周囲の景色を当てもなく見ている自分がいました。
ペットボトルの買い置きはあったのですが、昼になっても電気は使えず、エレベーターはストップ。やむなく階段を上り下りしてホノルルの街中へ。意味なく家の前に座っている人や、私のように車でウロウロとする姿が。ハワイ島では、現地スタッフの話では、津波を恐れて高台へ車で逃げた人もいたそうです。オアフ島では、雨は降っていたが朝早く明るかったことで、住民がパニックになることはなかったようだけど、これまで「地震はない」と言われてきたハワイの人たちにとって不安が大きかったように思う。また、一般のインターネットや電話も通じず、携帯電話も一部業者のものは全く使い物になりませんでした。
ドン・キホーテ(旧ダイエー)に行くと、すでに買い物中の人たちだけに入場制限。レジもままならないようでした。ウォルマート、ロングスなども同様で、唯一タイムスに行くとたくさんの人たちが非常用の水や食料を求めてごった返していた。ここでドーナツやパンを買って帰り、子供たちと一緒に昼食。16階までの階段の上り下りは正直きつかった。
夜は妻がどこかで開いていたラーメン屋さんを見つけて買ってきてくれ、前に娘の誕生日で使った時に余ったローソクの灯りで食べたのでした。シャワーや風呂も使えないため、そのまま横になったが、夜11時過ぎに「ワオー」という周りの歓声で、ウチのコンドに電気が復旧したことを知った。ちなみに、今朝シャワーを浴びようと思ったら、止まっていた給水用のポンプは動いて水は出たものの、湯はまだ出ないため、水風呂ならぬシャワー(結構冷たかったです)で出勤しました。
後で分かったことですが、昨日の午後早い段階で西のパールシティーやアイエア方面から電力は回復していたそうです。次にワイケレ方面とカハラも早かったそうだ。知人らの話では、まずは軍の施設がある地域を優先し、高額納税者が多い高級住宅地も優先順位が高かったのでは? というのが、もっぱらの噂。ワイキキで最初に灯りが付いたのはほぼ中央部で、午後8時過ぎ。次に動物園などがある東側で、ウチのエリアや西側は11時を回っていた。でも、どうして復旧に1日近くを費やすことが必要なのだろうか?
知人の話ではワイキキの停電が完全に復旧したのは今朝3時頃だったようだ。安全のため地震で停止した送電システムは、狭いエリアで少しずつ復旧。というのも、ハワイ電力の発表によると、一度に全エリアで復旧すると使用量がオーバーし、再び停電になる可能性があるからだそうだ。マウイ島のスタッフの話では、停電は3時間くらいで午後には復旧が終了したそうです。停電でテレビもラジオも消えたが、2つほどラジオ局が情報を流していたのが救いだったが、緊急時に果たしてこれでいいのかどうか? ライフラインやインフラの整備には疑問が残る。それにしても、新しい建物は別にして、ハワイの高層住宅には耐震構造という発想はあるのだろうか?
地震がないといわれてきたハワイで何故地震が起きたのか調べてみた。今回、地震が起きたのは太平洋プレート(岩板)の真ん中で普通はプレートの亀裂による地震が少ない場所。ただハワイ島の地下はホットスポットと呼ばれてマントルが上昇し、常にマグマができているそうです。このマグマが地殻の中を移動して変動が起こると、ヒズミがたまりやすくなり、ときには地震となる仕組みのようです。ちなみに、米地質調査所によれば、ハワイ近郊では1868年にM7.9の地震があり、津波や地滑りで70人以上が犠牲。1951年にもM6.9の地震があり、家屋の被害などがあったそうです。