日系2世部隊に最高位の米議会勲章
オバマ米大統領が法案に署名
第2次世界大戦で米国のために戦った「日系2世部隊」に「議会名誉黄金勲章」を授与する法案に、オバマ米大統領が5日署名した。法案は、欧州の最も危険と言われる戦場に送られた日系2世部隊の第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団の功績をたたえる内容。この勲章は米国で民間人に与えられる最高位のもので、式典にはハワイ出身のダニエル・イノウエ上院議員を含む元部隊兵士らが出席した。
米国に移住した日本人の子孫だった2世。当時、反日感情が高まる中で日系人は厳しい差別を受け、多くの人たちが強制収容所に入ることを強いられた。兵士の多くは収容所内で行われた募集に志願。米国に生きる日系人たちの未来を背負った青年兵士たちは、勇猛果敢に戦った。「誰ひとりとして、生きて故郷に帰れるとは思っていなかった」。米国に残してきた家族らは、収容所の中だった。
第33代大統領トルーマンに「諸君は敵だけでなく偏見とも闘い、勝ったのだ」と言わせた第442連隊戦闘団。フランスのボージュ山地で包囲されていた大隊を救出した功績などが知られている。イタリア戦線に送られた第100歩兵大隊と並び、第二次大戦中の米陸軍に於いて日系米国人で編成され、その規模と活動期間では史上最も多くの勲章を獲得したことで今も日系人の誇りとされている。
彼らには闘いに身を挺する必要があった。それ故、「バンザイチャージ」に代表される激しい闘いで伝説の部隊となるほど成果を上げた。そんな当時の過酷な戦場を幸運にも生き抜いた兵士は、今では80歳後半から90歳代。イノウエ上院議員は1945年に少尉として小隊を率い、イタリアで戦闘中に負傷し、右腕を失った。これまでに名誉勲章、青銅星章、パープルハート章などを受けている。
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米国・ハワイから尖閣諸島での日本政府の弱腰外交というニュースを見ていると、国(主権、領土、国民)を守るとは? 愛するとは? どういうことなのか、つくづく考えさせられます。当時、ハワイでも、また日本でも、そのために身を捧げて亡くなった多くの方々がいたことは忘れてはならないと思います。
日系人の第442連隊戦闘団の真実を綴ったドキュメンタリー映画は、公式ウェブサイトをご覧ください。
HP:www.442film.com
[…] ダニエル・イノウエ米上院議員死去著者 ハワイロード 投稿日 2012/12/18■第442連隊の英雄で、日系人の地位向上に貢献■ 米陸軍の日系人部隊「第442連隊」の英雄で、長年、米連邦議員として日系人の地位向上に貢献したダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州選出、日本名は井上建)が17日、肺気腫のため入院先の首都ワシントンの病院で死去した。88歳だった。歳出委員長を務める上院民主党の重鎮で、日米のパイプ役としても重要な役割を果たした。最後の言葉は「アロハ」だったという。 イノウエ氏はハワイ州ホノルルで日本人移民の家庭に生まれた。祖父は福岡県、祖母は広島県の出身。ハワイ大学マノア校に進学し、第二次大戦中、欧州戦線で日系米国人部隊「第442連隊」に所属。イタリアにおけるドイツ軍との戦いで、1945年4月21日に右腕を失い、1年8ヶ月にわたって陸軍病院に入院。数々の勲章を授与されて帰国し、米陸軍から英雄として称えられた。 陸軍大尉で名誉除隊し、右腕を失ったことで当初、目指していた医学の道を断念。ハワイ大学に復学し、政治学を志し、ジョージ・ワシントン大学の法務大学院に進学。戦後、政界に進出し、連邦下院議員を経て、1962年にハワイ州選出の連邦上院議員に当選、連続9期目の任期途中だった。1954年には退役軍人と一緒にハワイで日系人になじみの深い銀行、Central Pacific Bankを設立。1973年にはウォータゲート事件では、上院調査特別委委員長となり注目を浴びた。 […]