■国際平和デーの9/21日、真珠湾のビジターセンター■
広島に投下された原爆で白血病となり、わずか12歳で短い生涯を終えた佐々木禎子さんが回復を願って折り続けた「折り鶴」(約1cm)を常設展示とする「サダコの折り鶴エキシビット」除幕式が国際平和デーの9月21日午前9時から、太平洋戦争開戦の舞台となった真珠湾のパールハーバー・ビジターセンターで行われる。当日、禎子さんの家族が列席のもと、ハワイと日本の神式でのお祈りのほか、折り鶴の贈呈、政府高官やUSSアリゾナの生存者の隣席なども含まれる。参加無料で、一般参加も可。
禎子さんは、原爆投下の10年後に白血病を発病。闘病中、回復を信じて、1,300以上の折り鶴を折り続けた。しかい、 その願いは叶わず、1955年に12歳の短い生涯を終えた。その後、禎子さんの折り鶴は、 世界平和のシンボルとなった。広島市中区の平和記念公園にある原爆の子の像のモデル。今回の「サダコの折り鶴エキシビット」は、 禎子さんの話を世界中の人々と分かち合うために設置される。原爆被害を伝える資料展示は初めて。
当日は除幕式の後、折り紙やミニチュアブック・メーキングの無料プレゼンテーションが午後2時まで行われる。「禎子の折り鶴」を記念して、特別に作られたジュエリーや人気の高い子供用の本「SADAKO」も同センターのブックストアで購入できる。
パールハーバー・ビジターセンターやアリゾナ記念館などがあるナショナル・パーク・サービスは1980年以来、真珠湾攻撃とその余波を世界中から訪れる数百万人の観光客の人々と分かち合ってきた。また、第二次世界大戦への米国の参戦の話、真珠湾攻撃当日、さらには平和な時代を迎え、今回の佐々木禎子さんという広島出身の特筆すべき若い女性のストーリーを含むまでに広がった。
禎子さんが2歳の時、原爆が投下。11歳の時に被爆による白血病と診断された。1954年2月、禎子さんは広島赤十字病院に入院。療養中、折り鶴にまつわるストーリー(千羽の鶴を折り紙で折ると願いが叶う)を知った。禎子さんは回復を願い、1,300以上の鶴を折った。禎子さんは1955年10月、12歳で短い生涯を終えたが、彼女の千羽の折り鶴が一緒に埋葬された。広島平和記念公園には、彼女が折った140の折り鶴なども寄贈。兄の雅弘さんは6つの折り鶴を、世界中で展示することを目的に取っておいた。1つがニューヨークの「トリビュートWTCビジターセンター」に贈呈され、もう1つはオーストリアの「平和博物館」に寄贈された。昨年9月、「日米が遺恨を捨てて絆を強めるのに役立てたい」と寄贈。展示は広島、長崎への原爆投下当時のトルーマン大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエルさんが働き掛けて実現。3つ目が今回の常設展示物の一部として展示される。
この新しい展示には、日本占領、太平洋戦争終結のためのサンフランシスコ平和条約、太平洋戦争による様々な結果なども含まれる。現地日系人たちの寄付金が充てられ、特別にデザインされたパネルを通して、禎子さんの話、何故彼女が折り鶴を折ったか、折り鶴のもつ意義や重要性、彼女が亡くなる前に書いた言葉「私は折り鶴の翼に『平和』と書く。そうしたらどの鶴も世界中を飛び回るだろう」を含め、彼女の世界平和への希望と願いを分かち合うことができる。
◎Pacific Historic Parks
住所:1 Arizona Memorial Place, Honolulu, Hawaii 96818
電話:(808) 954-8767
HP: www.pacifichistoricparks.org